神様vs好きなこと。
神様は信じていますか?
と聞かれたら、
はい。
と答える。
今の日本社会では、怪しさが漂うけどね。
ところで、
神様vs好きなこと
となった場合、
私はどちらを選ぶのでしょうか。
神様を信じる心
私は、スピリチャルな事に興味があるし、話も好き。自身も感じることがあるし、メッセージは受け取っていると信じている。
最近、スピリチャルをお仕事にされている方々や、能力を持つ方から、私宛に神様からのメッセージをいただく機会がある。
見えない相手だけど、私を見守り導いてくれている人たち。
相手が神様の場合もあるだろうし、ご先祖さまでもあるだろうし、家族かもしれないし、守護霊っていうこともある。
貴重な意見はありがたく、積極的に受け取りたいと思っている。
ただし、その指示やアドバイスに従うか否かは私の判断。(聞かないんかいっ)
神様は絶対か?
たとえば、神様がとつぜん現れてこう言ったらどうだろう。
『いまの旦那さまとは相性が最悪です。早くお別れするべきです。』
即答、「嫌です。」
当たり前だ。
もしそう言ったのが正真正銘本物の神様だとしても、私の気持ちまで蔑ろにするはずがない。
歌いたくなったある日
またしても神様からメッセージをいただける機会に遭遇したある日。
なぜか私は迷った。
それまでは直ぐにお願いしていたのに、何かが私を引きとめていた。
引っかかるのには理由があるはず、と思いしばらく時間を置いてみると舞い降りて来た想いは
歌いたい
という気持ちだった。
その想いと同時に、(なんちゃって)ゴスペルグループに参加できたし、いつもの凄腕トレーナーさんにレッスンの申し込みも出来た。
歌ってみたら、新しいスキルを身につけたみたいなランクアップ感があった。
神様より歌を選んで良かった、と思った瞬間。
本能=メッセージ
困った時の神頼み、なんて言うけれど、神様だろうが人間のアドバイスだろうが、結局は自分のやりたいことと適合しないと嫌なんだろう。
でも、直感や本能にきちんと反応できるってことは、スピリチャルなメッセージもまたしっかり受け取れることになるんじゃないかと思っている。
(信じる、信じないは関係なく)
今回、歌うことよりも神様からメッセージを受け取る方を選んでいた場合、今の私には"その場で行進"になっていたと思う。
歌を選んだことで、踏み出せた一歩があった。
そして、メッセージを受け取れるチャンスを迷ったことは、これもまたメッセージだったんだと思っている。
おかげで、とっても幸せな気持ちを味わえた。
(主人に言わせれば、考えすぎだし、ただの偶然、というやつだ。)
こーゆう類の話は、やたらと他人に話すもんじゃないと言われるけれど、私は変じゃないと思うんだけどなぁ。
現実的な人も良いし、現実社会を生きながら見えないものを信じていても良い。
何事もバランスよく持ち合わせていれば問題ない。