やっぱり私は幸せ者だ。
前にもこんな事を書いたけれど、
私が好きなんて、幸せなことじゃないか! - fragrant water
私はやっぱり幸せ者だ、というハナシ。
得意なことは何もない。
何かが秀でてるとか、「得意です」と言えるものがあるとか、ずうっっっと続けられていることがあるわけじゃない。
自慢できることなんて、そうそう無い。
家族が好きとか、今も夫のことが大好きとか、なあなあになりがちな昨今(?)心から愛せる人がいます!ってことかなぁ。
こんなの、自慢にするたぐいじゃない。
私には"これ"という自慢話はない。
根拠のない自信ならある。
何にもないくせに、「私なら大丈夫」という根拠のない自信がある。
これは、私が私の経験で得て来たものじゃない。後付けで体験したことがプラスされていることは確かではあるが、持って生まれたものではないのだ。
幼少期から、周りの大人たちが「あなたなら大丈夫よ」といつも言ってくれたことを本気で受け止めてきた結果こうなれたのだ。
私が本気で受け止められたのだって、周りの大人たちが(少なからず不安や心配を持ちつつも)心から本気で「あなたなら大丈夫」と思ってくださったからこそなのだ。
自信家とは違う。
いつもどんな時も自信があるわけではない。"◯◯を頑張ったんだから大丈夫!"と言うようなモノじゃないが故、四六時中持ち合わせているのではない。
困った時、苦しい時に、発動される仕組みとしてて根底に持ち合わせている自信なのである。
無条件に信じられる存在として、自分がある。
そりゃあ人間だから、「私なんてクソだ」と思って全てを否定する時がある。
「こんな私だからダメなんだ!」とむやみやたらに全否定することだってあるのだ。
けれど、それは長くは続かない。
そのうち、自然と根拠のない自信がやってくるのだ。勝手に。
わたしが信じた人、信じたことは大丈夫。
全く根拠がなくても、私自身を信じている私。
その私が信じた人や、信じたことなら大丈夫、というこれまた根拠のない(根拠にならない)自信を持っている。
私はよく悩むタイプだが、何かを選択しなければならないくて悩む時にも発揮される。
散々悩んで出した答えに対して、「大丈夫、私が選んだから。それでも失敗したら、諦めがつくじゃないか!」という自信。
どこに自信を持ってるのかワケがわからない。 (笑)
やっぱり私は幸せ者だ。
既に明らかだが、何万回の練習や、血のにじむ訓練などによって手に入れたものじゃなく、私を形成してくれた周りの人々が私に与えてくれたものだ。
そして、それらを受け取る心もまた、周りの人達が私に与えてくれたもの。
自己否定もたくさんしてきたけれど、
「いいじゃないか。これは私のカラーだ。足りないところはこれからの人生でつくっていこう。」
と思えるところに立てている。
たくさんの人達に支えられてここまで来たことを実感できる。
これを幸せ以外になんというのだろう。
私もいつか、誰かの、何かの幸せを後押しできるような人になっていたい。