信仰心につながる。
偏りたくない。
そう思うけれど、少し偏ってしまっている、という自覚がある。
鬼以上に怖かったと聞く祖母は、若くして亡くなった夫(祖父)の姿を追い求めていたらしい。
妻と9人の子どもを置いて先に旅立った祖父。
厳格で、何事にも果てしなく厳しかった祖母。とても現実的な人だった。
そんな祖母も、祖父が亡くなった時は、お寺に駆け込んで、真っ当じゃなさそうな宗教に入ったことがあったんだそうだ。
娘である私の母は、信じられない思いだったらしい。
孫である私も、信じられない思いだ。
「お母さんは、霊能者とか、宗教とか、そんなのはイヤ。」
と言う母。
それでも、霊感を持つ知人や友人から聞いた中で納得するものは信じている。
『あの世にいっても、あの子は特別』と思わせる内容には飛びつく。
イヤだ、と言いつつも、祖母から貰ったというお経本を探している。
「おばあちゃんに教えて貰ったお経を読みたい。」と言う。
母に対して冷静にみている私だけれど、私は私で何かにすがっている。
霊的な事を考えることが増えたし、信じることも増えた。
すがったり、頼ったりもする。
どの国にもある宗教。
何を、どのように頼るか、信仰するか、崇拝するか、それは国にも人にもよるだろう。
昔から霊能者はいたみたいだし、庶民の中にも霊感を持つ人はいただろう。
だけど、
大切な人を亡くしたことでその力は強まり、信じる気持ちも強まっていったのではないか、と思う。
その体は動かなくなってしまったけれど、一生傍に居たいと思う気持ちから。
気が狂ったと思われてもいいから、会いたいと願うのは、私だけじゃないだろう。