耳の奥にある声。
『なんでお前は不注意なんだ。』
『いつか酷い目に遭うと思った。』
『何度やるんだろうね?』
この声が響いている。
私にしか聞こえない声。
母の声。
母は近くにいないのに、響いている。
昨日の夕方、夕飯を作っていた。
千切りキャベツを切り始めた時、左手の人差し指の第一関節のあたりをグサッと切った。
切り落としちゃいない。
深さは1.5mm程度、大きさは1cm程度。
しかし、落ちた肉片はしっかり目で確認できるほどだった。
さすがに焦った。
事あるごとに指を切る私だが、今回はなかなかの傷だ。
落ち着け、落ち着け。
私はいちおう健康成人であるから、このくらいの傷なら慌てる必要は無い。
そう頭で分かっていても、一人で慌てふためく。
出血が多くて、予想より止まらなくて、とりあえず看護師の友達に電話。(といっても、20歳ほど年上なのでベテラン。)
間違った止血方法を訂正してもらい、ギャーギャー言いながらなんとかした。
あとは治るのを待つしか無いので、痛い痛いと喚きながら今に至るが、負傷した瞬間から母親の声が私の耳の奥で響き続けている。
『なんでお前は不注意なんだ。』
『いつか酷い目に遭うと思った。』
『何度やるんだろうね?』
幼い頃からアラフォーになった今まで何度となく浴びせられて来た言葉。
私は、母親から見れば不注意なのかもしれない。
それでも私なりに気をつけている。
こんな怪我をしなくたって、少しの段差で躓いても、ジュースでむせて咳き込んでも、不可抗力の失敗でも、この言葉は浴びる。
私を暗いところに蹴り落とすようなこの言葉が大嫌いだ。
今では夫も『気をつけてください。あなたは注意が足りないです。』みたいなことを口にする。
些細な失敗で私そのものを批判されている気になる言葉が大嫌いだ。
うるさい!うるさい!
私を肯定できるのは、わたしだけ。
「大丈夫、私自身がダメなわけじゃ無いよ。酷くならないように気をつけようね。」
そう私に言い聞かせている。
この指の傷と、
心の中にある誰にも見えない傷を労っている。
悲しむ自分と、
それを抱きしめられる自分の
両方が存在できるようになった。
母には言わないけれど、パートナーには
「そんな言い方しないでよ!」
って言える自分が今はいる。
大丈夫。
私自身がダメなわけじゃ無いよ。